子どもを中心におく地域づくり

2005年にタイで財団(Munlanithi)として登記し、東北タイ農村の子ども支援を行っています。設立当初は、奨学金制度や主に奨学生に対する文化活動を行ってきました。その後、徐々に対象とする子どもたちの範囲を広げ、植林事業やキャンプなどは、地元の小・中学校と協働で行い、特にコミュニティ植林事業は、村の大人たち、地元の自治体なども巻き込んで行っています。
子どもたちが直面する問題を少しでも解決しようと、カエル養殖(自給のため)、子どもの居場所づくり(放課後のセパタクロー、サッカーなどのスポーツ)など、スタッフは試行錯誤の毎日です。

 

タイの東北地方「イサーン」

タイは人口約6600万人、面積は日本の約1.5倍あります。東北地方は、コラート高原とその周辺地域(1993年より現行19県)を指し、人口、面積、米収量ともに全国の3分の1以上を占めます。この地方やその住民は、通常、サンスクリット語で「東北」を意味する「イサーン」と呼ばれています。東北をメコン川、西南を山脈で囲われた海抜高度150200mの高原は、地下に数百メートルの岩塩層を保有し、乾季には塩が地表に析出して土壌の塩類集積が起こります。年間平均降水量は訳1200mmと少なく、年ごとの降水量の変動も大きいです。大規模な水源開発は困難で、旱魃と洪水を交互に繰り返す土地柄です。主に天水に依存した水稲耕作をおこなうが、農業生産性が低く収量は不安定です。タイ国内の貧困地域として常に問題とされる地方であり、相対的に収入は少ないです。世帯別月収の全国平均(2007年)が18,660バーツに対して、バンコクとその周辺地域では35,007バーツ(11,284バーツ/人)です。一方、東北地方は12,995バーツ(3,657バーツ/人)です。
全国登録仏教寺院の約半数が集中し、僧侶数も最も多い地方であり、瞑想や呪術で名高い僧侶を多く輩出することでも知られています。住民の約8割はタイ・カダイ諸語族のラオと呼ばれる人びとです。彼らは、現在のラオス共和国の主要民族であるラオの人々と文化的に同じルーツを持っています。他に南部にクメール、クムー(スウェイ)、北部にプータイ、カルン、ソー、ニョーなどが混在して居住しています。

 


 

東北タイ農村の子どもたちを取り巻く問題

60年代以降、アメリカの反共政策と呼応する形で国家主導の開発計画が始まり、農村に様々な開発プロジェクトが投入されてきました。共産党対策として、貧困撲滅のための開発事業が優先され、政府は海外から資金援助を受け、共産党員が潜む森林を切り開き、道路を建設し、田畑に転換して土地なし農民を入植させました。1980年恩赦による共産党投降をもって、反共政策はほぼ完結したが、その後も中央の政策と直結し、換金作物を通じて世界市場やメディアの影響を強く受ける地域となりました。その結果、60年代から80年代終わりまでに森林は1/3に減少し、人口増加と相まって多くの人々は仕事を求めて都市部へ流出していきました。首都圏との人の移動は激しく出稼ぎは常態化し、海外へは年間約10万人の労働者(全国の6割以上)を送り出しています。2003年の統計によれば、農業従事者の専業率は4割未満、農業所得のみに頼る世帯は2割を切りました。このように出稼ぎが常態化した農村の子どもたちは、家族崩壊や保護者の放任に直面しています。東北地方の農村部に顕著にみられるのは、両親が不在で祖父母と同居する子どもです。その理由として、親の離婚・再婚、出稼ぎによる別居などを挙げることができますが、出稼ぎによる不在が一番多いです。タイ国の中で東北地方は、親と一緒に住んでいない子どもが一番多く、3割近くの子どもが父とも母とも一緒に暮らしていません(26%)。全国的にもこのような子どもは増加傾向にあります。

孫育てをする祖父母たちが育った頃と、現在の農村社会とでは生業をはじめ、ライフスタイルに至るまで異なっています。そのため、今どきの若い子どもたちの行動が年寄りたちには理解できません。携帯電話の出会い系、バイクの暴走、早い性行為、ドラッグなど、明らかに悪いことだとわかっていても、子どもたちに言い負かされて、年寄りたちは「今の若いやつらは・・・」と愚痴るだけで放任しています。年寄りたちが知る伝統文化も継承する者がなく、機織り、養蚕、民謡、農作業、森林保全などの知識は消滅寸前です。
子どもたちは、自分のアイデンティティを確立するために必要な自尊心や自分の文化的ルーツを学べないまま、大人になろうとしています。